アンティークを通して見えてくるもの
量産されたモノへの疑問が子供の頃からありました。
もちろんすべての量産品に対してではありませんが、
「量産されて、やがて使い捨てにされていくモノ」
「流通している数ですればとても多いのに、
そのどれもが画一的で、選択の自由がほとんど無いモノ」
何故そんなモノばかりが売られているのだろう?
売られるようになったのか?
いつも疑問でした。
「“引っ掛かり”の無いモノ」も、つまらないので嫌いでした。
だけでそういったモノ達が
“安全”“安心”の名のもとに、どんどんと主流になっていく。
たとえば、タイルひとつを取ってみるとします。
私が子供の頃には
色も形も取り取りのタイルが無数にありました。
いつまでも眺めていられて、楽しかったです。
それがいつの間にか、均一的なモノへと変わっていった。
防火や抗菌のためだと言います。
生活を守るための基準なのでしょうけれど、本来的にそれほどまでに大切なのかとも思う。
また、コストのためだとも言います。
規格外でモノを作ると、売値が物凄く高くなり、
それでは誰も買えないからと。
もちろん意味は分かるし、
それ自体が悪いことだとも思わない。
でもそれがすべてに対しての良いことなんだろうか?
そうやっていくうちに、
社会は全体主義になっていってしまうのではないか?
全体主義の行きつく先は・・・・・??
「楽しいから」「目に心地いいから」「癒されるから」・・・・
これまでこんなことを軸にして
アンティークを語ってきました。
でも、それと同じくらいに、
私をアンティークへと向かわせる背景には
うえに書いたような疑問や考えがあるんです。
もう少し煮詰めてからにしようかと思いましたが、
なんとなく今日アップしておきたかったので
書いたところまでの記事としました。
読んでくださってどうもありがとうございました!
また今度はアンティークを通して「シンプル」を考えたことを
記事にしてみたいと思います。
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