2021年3月
城下町の金物屋さん
先日、実家(鈴鹿市)に行きました。
お昼は、両親と一緒に市内の中国料理店へ。
そのお店は城下町にあります。
私が通っていた高校もこの町でした。
城下町の情緒ある雰囲気が当時から好きでしたし、
懐かしさにもいざなわれ、
ランチのあと、両親を誘って散策に。
寝釈迦で有名なお寺を訊ねて、
手入れの行き届いた庭を拝観しました。
そのとき、近くに金物屋さんがあったのを思い出したので、
寄ってみることに。
両親も昔はよく利用させて貰っていたとのこと。
造り酒屋のような店構え。
昔のままでした。
学生時代もたまに行ってはいましたが(何を買ってたんだろう?笑)、
大人になってからは初めて。
今こそ見てみたい店です!
扉を開けるとき、
まるで買い付け先に来たときのようなわくわくが。
竹で編んだ籠やざる、
ずんぐりとしたホーローの容器、
各種揃った手作りのほうきや、たわし、
珍しいところでは、
あられにするお餅を切るための無骨な裁断機や、
料理を盛った皿を仕舞っておく網戸の箪笥もありました。
店のおかみさんと両親の昔話(おかみさん、二人のことを覚えてくれていました!)を耳にしながら、
私はいちいち面白い道具たちに没頭。
あまりの没頭ぶりにか、おかみさんの視線がこちらに注がれました。
そのとき、口から出たのが「かつお節削り器って、ありますか?」の言葉。
三年ほど前に北海道の家具職人のお客さま宅を訪ねたとき、
お客さま作の削り器で削ったかつお節の美味しさと、
削るときの気持ちのいい音や仕草がずっと頭に残っていたんですね。
咄嗟に出たそんな質問に対して、おかみさん、
それを聞くやいなや、さっと削り器を二つ取ってきてくれました。
どちらも木製でしたが、
ひとつは抽斗だけプラスチック製でした。
ぜんぶ木製のものをいただきました。
思いがけず、念願のかつお節削り器が我が手に!
思えば子供の頃は、家でこんなのを使っていたなあ。
母は逆戻りする娘がよく分からない様子でしたが(笑)、
父は意外にも感心してくれました。
しかし、肝心のかつお節はどこで手に入れようか?!
ネットかな(笑)
金物屋さんの店内には、
大昔の秤やミシン、電話や柱時計も飾ってありました。
どれも非売品の札がかけてありましたが、
感動したのが、すべてピカピカに光っていたこと。
長い歳月のあいだ絶え間なく磨いたりして、
代々愛情を注いできたんですね。
(もっと写真を撮らせて貰えば良かったなあ。。。)
とても楽しかったし、勉強にもなりました。
ありがとうございました!
これから先も長く続けていって欲しいなと願わずにいられませんでした。
『フルーツがなる街路樹』
今日のダイアリーは、
少し毛色を変えて・・・・・・・
テレグラムで見つけた記事で、とても感銘を受けたものがあったので、
そちらと絡めた内容です。
よろしければお付き合いください!
トロピカルな緑の外壁と、
たわわに実をつけて並んだフルーツの木。
ベトナムとか・・どこかアジアの街でしょうか。
その素敵な景色にまず目が留まったのですが、
するとその写真には、
「色々な果物の木を街の歩道に植えましょう。
そうすればホームレスの人も含めて誰もが一年中、果物を食べることが出来ます」
と、キャプションがついていたんですね。
街路樹を植えることも、
果物を育てることも、
世の中で普通におこなわれていることなのに、
その二つの組み合わせが、
すごい・・・・・・って、
こんなこと考えたこともなかった・・・って、
頭を殴られたくらいの衝撃だったんです。
なんて素晴らしい発想なんだろうと思い、
涙まで出そうでした。
すぐにでも始められそうだし、
始めたらいいのにとも思いました。
記事には、
「想像してみてほしい。
これをやればどれくらいの人が救われるか」
「出来ない理由を探さないで」
ともありました。
もちろん、思いましたよ、
色々な“しがらみ”みたいなものの存在のこととか。。。
(でも、この果物やっぱり美味しいね!ってことになって、
市場でもさらに人気になるんじゃないかしら?!)
こんなことが普及したら、
そんな世の中って成熟社会だとある意味で言えるんじゃないかなあなんて。
なんだか、うずうずもしてきて。。
白山町には歩道は無いので(笑)、
手始めにKioの敷地に柿の木を植えることにしました。
実ったら、皆さまもぜひ収穫していってくださいね!
野生動物が先にとっていっちゃうかも。。。